忌まわしい二度目の会社その16


忌まわしき二度目の会社時代その16

ダクタル練り上がり


3年 6月 5日 (木)
口やかましい嫌われ者
自分は、会議に出ては、自分の気持ちを率直に述べる。正しいと思うことを述べ立てる。
人に呼ばれて意見を聞かれると、これまたはっきりと意見を言う。
それに対し、こんなつまらぬ事を私は反対だという人がいる。それに対して、之は上からの命令であり、之に楯突くことは、止めると言うことで、いかんながらまだ辞めるわけにはいかない。と私。
自分がそう言っても、その監査役は反対だという。それなら役員が大勢いるのだから、束になって方向を変えて下さいよと言っても本人は何もしない。
会議でもその時は黙っていて、後で、あれは止めようと言う輩がいる。
何のための会議か分からない。
煮え切らないのは、本当に嫌いである。

2003年 6月 7日 (土)
生きると言うこと
人間若い頃は、色々な夢を持って生きてきたものだ。ところが、そんな夢もなく、決められたレールをただ走ると言うことをしてきた人間は、歳を取ってから、困ることになる。
レールが急になくなるからだ。概して、高学歴、インテリと言われる人種はそうなることが多い。
新聞紙上をにぎわす、有名人も、何処か変わった所があって、余人には理解し難い所があるようだ。
その反面、普通に暮らしたり、どん底を経験した人間は、それぞれ味わいがある。
それが自分では考えられないことであっても、野草のように生き延びていく。
幸せを感じる基準が違うのかもしれないが、やがて人間は空しくなるのだと言うことを考えれば、大差はない。
金曜日に義兄と飲んだ。自分の国を自国で守れないなんて考えられない。独裁者は、粛正されるべきである。と言う話になった。

2003年 6月 8日 (日)
過去の精算と現在の惨状
ノムヒョン大統領が、日本に来て、珍しいことの民放番組で、参集した、日本人の質問に答えていた。
当たり障りのない質問に当たり障りのない解答で、事は済んだ。韓国の大統領は、李承晩以来何人になるのか、すべての大統領が汚職に手を染めている。今回は過去の精算は出なかったようだが、現在の惨状(北朝鮮)についてはごく寛大な発言であった。
洋の東西を問わず、専制君主・独裁者は、抹殺しなければならない。
中国の共産党1党主義も、SARSの件で、如何に嘘を平気でつくかが分かったことだろう。
北朝鮮の金正日は抹殺されるべき対象である。責任ある一国の長たる器ではない。
マンギョンボン号が、事前に入港を取りやめたのは、やましいことがあるに相違ない。
海上保安庁の臨検予行を見ていると、もっとも隠しにくい所を探しているようだ。
船の2重底などにも入って調べるべきではないか。船は広く大きい、常識では考えられない所に隠すことは十分に考えられる。

2003年 6月 9日 (月)
根無し草
私は、4つの部門の兼務となっている。その内一つはまだ稼働していないので、実質3つだ。
それも突き詰めると2つは同じような種類なので、2つと言った方が良いかも知れない。
本業であるはずの技術の方は、少しも仕事がない。他の人がすべてこなしているのだろう。
週1回の会議が、僅かに繋がりを認識させる。
もう一つは、品質管理、成績書の内容をチェックするという大儀名分がある。
之は明らかに無駄であると考える。メーカーが保証してきた内容について、全く信じられないなら、そこと取引をしなければいいわけだ。日本のメーカーを疑うぐらいなら、中国のシステムを疑う方が先だと思う。
さらに受注の内容が、妥当なものであるかどうかについて、検証する役割だ。
之も数項目しかないこと故、一々別の人間が2重にチェックする必要はない。
そうすると、もうやることがないので、明日から来なくて良いと言われると困るので、兎に角忙しい振りをしている。

2003年 6月 10日 (火)
忙しい、忙しい本当?
皆忙しそうな振りをして仕事に励んでいる。社長が少し残っていると、大半の人間は残っている。
忙しくもないのにつき合いである。社長の世話をする連中はそれが仕事だから、残るのは分かるが、近くの席のものは、用があるのかないのか分からないけれど残っている。
昔気質で、残業と言ってもサービスをやる方が仕事をしているとの考えが染みついている。
仕事の早い人間は、定時でさっさと帰る。現在の仕事量は、一年前に比べると殆ど半減している。
これを騙し騙し、少し落ちてきたという数字が報告されているようだ。
もし事実が分かったら、即リストラが始まる。
このリストラは、出来ない奴が先ではない、社長の嫌いな奴が最初になる。
女性と、中国人はおそらく最後まで残るであろう。
片一方で、業務の効率化、ISOと一人前の会社のように形だけは動いている。

2003年 6月 11日 (水)
社長と、お気に入りの米出張
明日から、総勢5-6人でアメリカに出張する。と言っても仕事らしい仕事はなく、受講すれば証書を呉れる講習を受けるもの、商談とて無く、ただ旧知と会うだけのもの。
その通訳をするもの。年中行事のように之は行われる。社長の眼中にないものや、嫌われているが、解雇まではと言う人間には声は掛からない。
何時も尻尾を振って、ついていく手合いが好まれる。要するに難しい理屈をこねて、相手とネゴしなければならないようなハードなものではないわけで、ただお追従を述べるだけの方が都合が良い。
東京はしばらく静かになるかと思いきや、あれはどうなった、之はどうかと国際電話が掛かる。
それだけ向こうが暇だと言うことで、落ち着いて日本のことを考えるための手段でしかない。
何はともあれ普段より少し静かになるのが好ましい。

2003年 6月 12日 (木)
嫌な季節
梅雨に入った。とたんに雨が降り湿度は高い。気分の悪い日だ。私は、傘をさすのが下手だときている。少し横降りだと、とたんにずぶ濡れだ。かといって、梅雨明けも嫌なのだ。今度は汗が出て止まらない。タオルのハンカチが日に2枚はいる。家に帰るとエアコンを点けっぱなしになり、電気代も馬鹿にならない。昔海岸べりに住んでいた時は、夏が好きだった。
オートバイにビールを積んで海岸に寝転がり、甲羅を干しながらビールを飲んだものだ。
ところが、海が遠くなり、灼熱のアスファルトジャングルになると、ヒートアイランド現象で、必要以上に暑い。
ところで、日本人はどうして、夏も背広を着て会社に行くのだろう。一時省エネルックというのをはやらそうとしたが根付かなかった。
やはり営業などお客様のところへ行って、相手よりラフな格好をしていると心理的に失礼と思うのだろう。クーラーの効いた車に乗りほんの少しの間暑い他、オフィスはまた冷えているとなると、気にならないのかも知れないが、なかなかそんな身分の人ばかりではない。
兎に角鬱陶しい梅雨と、暑い夏は大嫌いだ。

2003年 6月 13日 (金)
歳を取ると言うこと
まだ歳を取ったという気持ちはないが、失望することが多く、何のために生きているのかを考えると、実際の歳より老けてしまう。考えてみれば、大学を出て、自分の望んだ仕事に就いていたのは僅か20年余り、その後は意に添わぬことも多かった。面白い時期は少なく、つまらない時期が多かった。
そのままの状態で、後20年生きるかと思うと考えざるを得ない。
若い時の20年は、大いに仕事をすることが出来るだろう。歳を取って、仕事もなくなれば、どうすればいいのだろう。経済的にも決して裕福ではないと、サラリーマン生活40年足らずは何のためだったのだろう。結局生存競争に敗れたのか、本当に能力がなかったのか。
毎日をこんな気持ちで過ごし、日記代わりになっている。とても空しい。

2003年 6月 14日 (土)
真夏日の土曜出勤
梅雨のかかり、30度を超す真夏日。電車も差ほど空いていない。そんな中仕事もないのに出勤する。
仕事で出勤するわけではないのは昔からそうだった。社長の指示で、決まったことだ。
何しろ憲法が自分だから、すぐに決まる。擦り寄る与党はいても、反対する野党はいない。
フセイン政権下か、金正日のようなものだから、すぐ処刑が待っている。
しかしこう不景気では、転職なんて、その上高齢の受け入れ先はない。
生活のために仕方なくいなければならない。そして明日解雇を言われるかも知れないのだ。
毎日が屈辱以外の何ものでもない。兎に角正義か否かは関係なく、自分が好きかどうかだけが判断基準になる。
そんな所にもう5年もいるんだと思うとぞっとする。若い者の後塵を拝して、唯々諾々と1日1日を過ごしている自分が情けない。

2003年 6月 15日 (日)
はっきりしない天気
梅雨だからしょうがないけれど、一日中はっきりしない天気だった。何と言っても湿度が多い。
人間を初めて、60年近く、毎年同じ事の繰り返しだったのだろうか。
夏の海水浴を楽しみに待っていた頃もあった。私はやらないが、冬のスキーをするために寒いなんか言っていられなくて雪山に向かう人達も多い。
要は心の持ち方次第で、季節感は変わるのかも知れない。デフレが家計を圧迫する。学費を払えなくて高校退学を余儀なくされる人がいる。車の維持費は、子供一人分の養育費と車を手放す人もいる。
給料減額、夏のボーナスゼロは、こちらにも及びそうだ。
こんな寒い冬は、早く終わって欲しい。歳を取ると物欲はなくなるので、当面は不自由しないが、
電機製品などの寿命が一気に来そうで、困ったものだ。
世の中はどんどん進化していく、なのに、経済だけは先例を教訓に出来ないのだろうか。
技術屋の端くれとしては、どうにも歯がゆい。

2003年 6月 17日 (火)
フィリピンでの永住
この間テレビでやっていたのだが、フィリピンのセブ島のそばにマクタン島があり、そこから南に十数kmのところに、東京ドーム1個分の島があり、そこが1000万円で売りに出され、日本人夫婦が買った。島には人もいるが、追い出しても良いと言われながら一緒に暮らし島の住民に自活の道を教えているという。勿論テレビなどはなく窓からの澄んだ風景が、テレビ代わりという。
自給自足が原則だが、日用品はマクタン島に買いに出かけるという。
人間欲を忘れると、不便な所でもやっていけると言うことか。そのご夫婦は結構なお年だったが、島の人にはとても好かれているという。
フィリピンは、7000余島の島でなっているので、他にもそんな島があるかも知れない。

2003年 6月 18日 (水)
ドリームジャンボ
折角買った何束かの宝くじ、女房殿に当選かどうか見たかと聞くと、どうせ当たってないから、見てない。という。明日見とくわとの返事。こちらは、当てて人生立て無しと思っているのに、悠長なものだ。しかし考えてみれば、当たらないものだな。そう何人にも当たったのでは、成り立っていかないだろうから。サラリーマンて因果なものだなあとつくづく思う。
昔は花のサラリーマンなんて、威張っていたのに今では、尾羽うちからした情けない存在になってしまった。必要経費だって、認められているのはないのに、どんな小さな社長でも会社組織だと必要経費になる。国会議員には、その他あらゆる、利点が約束されている。
またどんな悪いことをしても殆ど出処進退は、ご自身が判断されることとなる。
増長するのも当たり前だ。悪い国会議員をさばくと、芋蔓式に自分に繋がっていることもあるからだ。
植木等の「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」は昔話になってしまった。

2003年 6月 20日 (金)
外も内も梅雨
朝から歩いて駅に行くまでに汗をかく。昨日は、上着を会社において帰ったので、ワイシャツだけで歩いたけれどやはり汗は止まらなかった。
昨日は、男ばかり5人で、飲んだ。焼酎一瓶を3人で空け、他の二人は酒を飲んでいたようだ。
飲むほどに饒舌となってしまった。一体何を話したのかは殆ど覚えていない。
酒を飲むのはストレスの発散になるのは事実だ。毎日下らぬことで時を過ごしているといい加減嫌になる。兼務の何でも屋になっていると本家からは忘れられるし、分家での仕事に熱は入らない。
今週は、社長を初め、数人がアメリカ旅行に出かけていたので、比較的静かに過ごせた。
来週は、また講習が4日続けて、あるから、嫌な姿は見なくて済む。
しかし来年度の売り上げ予測を見ると驚愕の一語に尽きる。
そろそろ頸を洗って待っていなければならないかも知れない。
年寄り連中から辞めるというシステムになっていないから、用もないのに居座る物がいるし、それを是としている。若い働き盛りは、たまったものではない、一気に路頭に迷うことになりかねない。

2003年 6月 21日 (土)
私利私欲と人徳
人間は皆平等であるはずが、実は大きな差を持って生まれてくる。先天的なものは、健康、身体と既にハンディキャップはある。まともに見えても知能が遅れているものもいる。
それらがすべて平等であっても、生後の環境は、人を大きく変える。自分だけが良ければ他はどうでも良いもの、自分を犠牲にして、他を救おうとするもの。
之もやはり後天的知能の遅れに由来する。他と比較して優っていることを喜び、劣っていることに羨望を感じる。それが並の人間というものである。
元スカルノ大統領のデビ夫人の放送があったが、放送をした側の常識を疑うものであった。
元々女給上がりか知らないが、時の大統領に見初められ、と言うあたりまでは良いが、今や、そんな蓄財を自慢たらしくひけらかし、もっともらしいことを番組では言う。鼻持ちならない女としては、野村おばさんと変わらない。
一方、ソニーの大賀社長(会長)は16億円もの退職金を、惜しげもなく長野県の音楽施設関係に寄付した。功成り名を遂げたら、ここまで、謙虚にいられるのか頭が下がる思いがする。
こんな事はマスコミでは余り取り上げない。

2003年 6月 22日 (日)
再びの講習
品質管理者の講習が明日から始まる。1日中缶詰で、行われるため終わる頃はとても疲れる。
統計的手法を、機械的に教えるだけなので、若干おもしろさに欠ける。
それでも教科書を読んだだけでは、分からないことが多い。
今更これを習ったからと言って、会社の業績が上がるわけでもなく、やる気の起こらぬものであるが、
行きがかり上止む終えない。
大勢の若者が受講している。その中で自分と同年代は余り見かけない。それもその筈、之からの人のための講習だからである。資格資格の世の中で、歳を凌駕するものは1つもない。

2003年 6月 27日 (金)
ホロコースト
大量虐殺が始まろうとしている。運に任せて、右肩上がりだった業績が御多聞に漏れず下がり始めたかと思うと一気呵成に半分になる。そんな事を知ってか知らずか、中国人から、果てはやくざ上がりまで雇う。取るも、辞めさせるも社長の一存。誰も止められない。
社長は、頸など簡単に切れると思っている。公私混同も甚だしい。1億数円マンの億ションを社費で買わせ、車も同様。役に立たない息子二人に1000万円強ずつの給与。
入れた人間は、適材適所を欠いても誰かのたれ込みで、決まってしまう。
会議をしても独演会。誰も止めようとしないし止められない。新規事業と言っても特になし。
ハードルも高い。1部の人間を除いては、大した働きをしていない。パイが小さくなったのだから、ホロコーストもやむを得ないが、順番通りには行かない。兎に角体を張った者と、擦り寄るのが巧く、取り入った人間は残る。仕事が出来ても関係ない。社長の好みで決める。
おそらく女は殆ど残るだろう。全く嫌な会社だ。

2003年 6月 28日 (土)
ペシミストとオプティミスト
世の中完全に別れている。私は完全にペシミストだ。何でも悪い方に考える。
之は病気だからかも知れない。時に考えすぎてパニックになる事もある。
近々試験がある。講習会のだ。之についても90%は大丈夫と言われても残りの10%に入ったらどうしようと考えてしまう。オプティミストというか普通の人間は、安心するものだが。
要するに気が小さいのだ。何も試験に落ちたからと言って、命までは取ろうと言ってない。
何か物事を始める時には、先ず失敗の事が頭に浮かぶ。昔から出来て当たり前という中で育ってきた気持ちを引きずっている。
人のやる姿を見て、多分高尚な事をしているのだと考え、それに引き替え、自分は詰まらぬ仕事をしていると考えてしまう。
話題も花鳥風月には向かない。要するに粋人でもないからだ。之が後天的なものか、先天的なものかは、誰も教えてくれない。しかしこの年になって、とやかく言うのは恥ずかしい事と思っている。
未だに人間形成が出来ていない。恥ずべき事である。

2003年 6月 29日 (日)
変な早慶戦
早稲田の学生が、集団でレイプをした。早稲田出身者は嘆いている事だろう。ところがこの大学は、めっぽう学生数が多い。偏差値的に低い奴も当然入る。良い事と悪い事の区別までは、受験勉強では教えない。鬱積した、官能が、野蛮な行動に走らせる。
それを慶応の博士課程終了で大学の先生までした代議士太田誠一は、元気があって良いと発言、顰蹙をかってすぐ訂正した。変な所で慶応戦のエールの交換をやっているようで見苦しい。
エールの交換は野球か、ラグビーまでにしてほしい。
本を読んでいると、オランウータンの世界はレイプの世界らしい。定着型のオス(ボス)は優勢な子孫を残せるので、雌は、簡単に性行為を許す。しかし若いオスは、可能性が未知なので、雌は容易に身体を開こうとしない。そうすると、襲いかかりレイプするしか手はないわけである。
またオランウータンの物は4-5cmと短いので益々行為が出来にくくなっているそうな。
早稲田の下層である彼らも、次元はオランウータンに近い。

2003年 7月 2日 (水)
何が起こってもおかしくない
仕事の量が段々と減っていく。この先人海戦術はいらなくなる。と言うより余分な人はいらなくなるわけだ。誰も自分はと思いながら自分もと思っている。
特に秀でた才能がいるわけでなく、流れてくる仕事をこなすだけだから、高度な知識やなんかは必要ない。時の流れに身を任せて、流れるままである。パイの大きさを大きくする努力は確かに行われているのかも知れないが、決定的に小さくなった、戦場では、巻き返しを図る余地もない。
今年いっぱい現状を保てればいい方で、来年の事を考えると恐ろしくて居られない。
しかしそんな事を肌で感じてもどうしようもないわけである。社長はゴミくずをあさるように新しく人を入れる。縁故のものが多い。業績が半減するというのに、何を考えているのか噴飯ものである。
入るのは、年寄りが多く、それ故中途半端な我々は、実に中途半端である。
大手企業で、私の後輩連中は、立派な職位につき、大きく羽ばたいている。
我が人生は一体何だったのか。価値観を変える必要がある。

2003年 7月 3日 (木)
無気力な人生
後ほぼ20年余命があるだろう。呆けたり寝たきりになったりしたら嫌だな。
今の仕事も一向燃えるものが無く、唯々諾々と過ごしている。仕事をしない、また現状を嫌う連中が多く、人の足を引っ張る。兎に角今より変わる事が嫌なのだ。
そんな連中と、会議を開いて、議論を闘わせるのは無駄だと思った。
そういう連中は人の話を最後まで聞かず、話の腰を折って、自分に不利にならないように自己弁護する。専務と名が付いている人間に、部下にやらせろと言うと、私には部下は居ませんという。
全く笑止千万、箸にも棒にも掛からないとはこの事だ。昔から自分が持っていた仕事を誰にも渡さず、それさえこなしていれば、自分は仕事をしていると思いこんでいる。
社長もどんな関係があったのか、そんな手合いを専務だと称させるのは、百害あって一利無しである。
そんな中、良かれと思う心に無気力感が広がるのはどうしようもない。

2003年 7月 5日 (土)
うさはらし
金曜日は会社を辞めた男と会社に辞めさせられた男、それに女性を交えた、総勢5人赤坂で飲んだ。
辞めさせられた男は、今も悔しくて眠れない時があると言う。
揃って、労働基準局への不当解雇を提訴しろと勧めた。
正にやり方が汚くて、強制解雇を、自己都合にしろと強要されたらしい。言語道断である。
仕事を指示した人間は、一向処分の対象にはならない。部下である男に責任を負わせて平気なのである。同伴した女性も同調して憤っていた。
言い渡したのも、社長の言いなりで、何も考えず、イエスマンである。
社長の甚だしい公私混同と、人を人とも思わぬ扱いは聞いているだけで反吐が出そうである。
辞めさせられる殆どは、社長の放つ「色」の讒言で、決して真偽を確かめようとしない。
金曜日は飲み過ぎて、土曜日は、一日中グッタリしていた。

2003年 7月 6日 (日)
何処まで続くか悲惨事件
犯罪の件数は増加し、検挙率は下がる。検挙しても莫大な金と、時間を浪費し、裁判というものがある。起訴され。必ず弁護人がつく、極刑を言い渡されて、控訴、上告して刑が確定しても、それが死刑なら、なかなか執行されない。無期、有期刑であれば、品行が良ければ必ず刑期満了前に出獄する。
その辺の相場も決まっているらしい。死刑に至っては、アムネスティなどから、死刑廃止論が出る。
小沢一郎のように死刑廃止論者もいる。完全に犯行を犯した者の人権のみ擁護され、殺されたものは殺され損である。俗に罪を憎んで、人を憎まずと言うが、宅間のような男とか、もっと前に浅原のような類は、存在そのものが悪である。カルトを擁護すれば次に続く者が必ず出る。
彼らは、洗脳されて物事の判断出来ない環境に置かれている一種の被催眠術者だ。
先ず国会喚問、裁判所の中継を報道できるようにすることだ。すべてをディスクローズして、国民が判断出来世論が高まればいい。その方向が間違っているなら、日本国の破滅な訳だ。
4歳の子を駐車場の上から投げ落とし死に至らしめるなどとは、常識では考えられない。

2003年 7月 11日 (金)
久し振りの広島
久し振りに広島へ行った。物見遊山ではないのが残念だが、呉れに生まれた自分にとっては、まあ一応故郷と言うことになる。新幹線で9:33に降り立ち、迎えの広島事務所の人と極東工業に直行した。仕事の打合せに出てきた若い人は、前に別の現場で、説明をした人と同じだった。
簡単な説明で、了解を得た。広島は本社だが、同じフロアーの広島支店長に挨拶をした。
一応の説明を終え、昼食を取った。朝は、滋賀から来たので、朝食を抜かしていた。
ダイエットになるかとの思いもあったが、全然効果はなかった。
しばらく同行した人の営業方針、目標を聴き、本社には見られないタイプの人だと改めて感心した。
新幹線の切符売り場で、別れて、12:38のひかりを買った。
若干の時間は遅れても差し支えなかったが、一人で物見遊山するほどの気力もなくまた暑かったので、グッタリと新幹線のシートに横たわった。
広島から東京までの新幹線は、之が限度と思われるぐらい長かった。しっかり本が読めると思ったが睡魔が激しく、本を何回も床に取り落とした。
途中岡山を通ると見えはしない玉野で働いていた良き日が思い出された。大阪も第二の故郷、京都は、初恋の人と歩いた街。色々な感慨が胸をよぎった。





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